仏月...因果
2009年08月05日 | by TAK. KASHIYAMA
信州はこの月に新たな仏の供養。また佐久の風習である8月1日のお墓参り等先祖を偲び、夏の暑さ、流れ落ちる汗も我が身、我が家に伝わる因縁因果を振り返る「仏月」です。
我が家は古くは真言宗の前山寺、時代が下って現在は曹洞宗貞祥寺の檀家としてお世話になっております。が、私自身は別途12 年前から法華経を日々読受して在家での先祖供養をさせていただいています。僅かな年月しか過ぎてはおりませんがこの間多くの人々との出会い、その方々の人生の来し方、行く末、親との関係、子供の有り様、仕事の盛衰、健康、 そして生死を深く見つめて思い知らされる「因果律」は間違いなく有るという想いです。

本年執り行われた善光寺御開帳「中日庭儀大法要」
(5月9日筆者撮影)
単純に言えば「結果には原因が有る」これは個人、家族、地域、国、世界、地球、宇宙と視点視野を広げれば限りがないように思えます。我が身の因果は輪廻転生を前提に受け入れれば過去、現世、未来と続きますが、自分がどのように生きて来たか? どのような罪科を犯したか? により、短い現世が 如何様な結果になるのか、特に60 代も半ばを過ぎた今この時に穏やかな、そして平凡な幸せが如何に大切であり、なかなか到達出来ない事でもあると思い知らされます。そして国家もその「因果」からは逃れられない事のようです。
今の我が国の恐ろしいほどの劣化、消耗はこの何年かでなく明治、大正、昭和の世界の流れと我が国の対応変化が適切であったか? 特に日本が初めて戦争に敗れた1945 年からのアメリカの国益の下、憲法さえも自ら創れず、そして憲法の解釈論に国際問題対応をも矮小化して姑息に足下の水たまりを渡って来たのでは無いでしょうか? そして我が国は勝手に世界を性善説でくるみ、真実から目を逸らして来たのではないかと苦い思いを飲み込みます。

日本商工会議所 岡村正会頭と地方の経済情勢について懇談
7月16日東商ビル会議室にて
この金融恐慌の中、世界は大きく歯車が回り、別な世界の力学が定着しつつあります。短く言えばアメリカの衰退と中国の大国化が明らかになり、世界中が無視できない存在になった今、中国の主張にはアメリカといえども妥協せざるを得ないことが明らかです。そしてオバマ大統領は表向きの表現はともかく実際には米中の合意を優先せざるを得ない中、日本の国益は無視されており、今こそ我が国は自立を急ぎ、世界での役割をしっかり見極めねば成らないと思います。
そんな状況にもっとも真剣に命がけで知恵を絞った明治の若き下級武士、また、戦後の我が国の復興に誇りを持って取り組んできた官僚群、そして骨太の政治家達。
その末裔である永田町、霞ヶ関は皆、我利我欲を優先して党利党略、省利省略の巣窟と化してしまったこの「因果」は、我々国民一人一人の大義に対する無関心、「それでも地球は回っている」として命がけで過去の常識に真実をもって異議を唱える勇気を捨ててきた「自分」が居るのではないでしょうか?

